隠岐汽船 株式会社
ふるさとの海を愛し人と物と文化をつなぐ

隠岐と共に120余年 島の経済・産業・文化振興に貢献する

木下典久社長。隠岐の島町出身。京都で大学生活を送り新卒入社。本社総務課、境旅客営業所所長、本社業務部長、総務部長などを経て、2007年、57歳で第16代代表取締役就任
松江市の七類港や境港(鳥取県)と、隠岐島内4港を結ぶ旅客フェリーは、島の人たちや観光・ビジネス客の生活航路だ。特に、島で暮らす人にとっては、本土に渡る交通手段だけでなく、食料・日用品などあらゆる生活物資を島内に運ぶライフラインの役割を果たしている。本土から隠岐島までの距離は約70km。その間を目には見えない“道路”でつなぐのは、1895(明治28)年設立の《隠岐汽船株式会社》だ。現在、カーフェリー《おき》《くにが》《しらしま》、水中翼船のジェットフォイル《レインボージェット》を定期運航し、時代と共に多様化・高度化する輸送ニーズに応えながら、年間40万人の乗客と貨物を運んでいる。
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フェリーの船体で、煙突に描かれたファンネルマーク(※船の運航管理会社を示す独自のマーク)は、夜空で輝くオリオン座の中央の三つ星をかたどった三星紋だ。これは、隠岐汽船の礎を築いた松浦斌(さかる)氏が、1883(明治18)年、菱浦(海士町)―浦郷(西ノ島町)―境港間で定期運航を開始した際、初代の《隠岐丸》に使って以来継承されているマークだ。島民の足は、風と潮が動力の小さな帆掛け船に頼っていた時代。松浦氏は、隠岐地域の発展には安全な海上交通の整備が最命題と、初めて木造蒸気船を隠岐四郡町村連合会と共同購入し、隠岐航路の開設に尽力した。松浦氏の開拓精神と島民への思いがこもる三星紋は、その後隠岐汽船の社章にも採用。社員の誇りとして今も受け継がれている。
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「当社は航路を創設した松浦斌氏の意を継ぎ、島民有志で設立された会社です。安全運航を第一に、人とモノの安定輸送を維持し、隠岐地域の振興に役立ちたい」と企業理念を語るのは、木下典久社長だ。長く島民の足だった隠岐航路は、1963(昭和38)年の大山隠岐国立公園誕生を契機に、県内外の観光客の利用が伸び始めた。その後カーフェリー時代の幕開けと共に、72(昭和47)年には、本土側の船舶基地となる七類営業所を開設。乗用車20台(当時)を積める《くにが》が就航するなど、本土―隠岐を片道3時間で結ぶ大型フェリー3隻体制がスタートした。その頃、新卒で入社した木下社長は、配属された本社総務課で身近に接した中川秀政・第10代社長(故人)の存在が、今も忘れられない。
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旧西郷町町長をへて、県議会議員在任中に代表取締役を務めた中川氏は、車社会の到来を見据えフェリーを3隻建造するなど、数々の英断と社内改革で大きな功績を遺した。「“島民と社員のために”を有言実行した方で、ご自身の生活は質素そのもの。リーダーとして先憂後楽(せんゆうこうらく)の姿勢を感じ、特に影響を受けました」と振り返る。ピーク時は年間60万人の乗客を運んだ隠岐汽船も、島の人口・観光客の減少、燃料費高騰などから、2005年に経営が悪化。翌年から約5カ年で社内経費削減、全社員の給与30%カットを断行し、国・県・行政の支援で経営を再生した時期があった。「私も含め今働いている社員は、島の暮しを守ると共に、次世代社員に事業継承のバトンを渡すため、大変な時期を全社一丸で乗り越えてきました。これから入社する人には、協調精神を大切に、楽しく仕事に取り組んでもらいたいです」。
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2004年就航の《フェリーおき》(総トン数/ 2366トン)
安全で確実な輸送を乗組員一丸で成し遂げる
様々な人の想いと大切な貨物を載せ、雄大な日本海を航行するフェリー。海上で安全運航を担うのは、最高責任者の船長を頂点に、船を安全・確実に目的地まで運航し、貨物の積み下ろしを監督する「航海士」、メインエンジンをはじめ船内の設備機械を保守管理する「機関士」、そして乗組員の食事を提供する「司厨長(しちゅうちょう/コック)」、乗客サービスや調理を担当する「事務職員」と、船のプロフェッショナルたち(乗組員)だ。「離島の公共交通機関として乗客と貨物を確実に届ける使命を、乗組員が一丸となって成し遂げる。それがこの仕事の大きなやりがいです」と話すのは、フェリーおき船長の村上繁夫さん。外国航路乗組員をへて入社歴32年、船長になって9年のベテランだ。隠岐汽船は、島の人情も届ける。時には、貨物トラックを出航ギリギリまで待ち、時間の遅れはエンジンを回して取り返すこともあるという。「乗組員は、仕事の責任を自覚しそれぞれの任務にあたりますが、上の者が積極的に声かけをするなど、和気あいあいで朝から笑いのある職場です。会社も海上社員の気持ちを汲んで、健康や待遇面で配慮してくれます」と会社の魅力を話してくれた。

村上繁夫船長。隠岐水産高校、同専攻科を卒業後は外航貨物船に乗り、6年間で世界30カ国を廻った
〔甲板部〕 操船から貨物の積み下ろしまでを担う
船を安全かつ確実に目的地まで操り、出入港時や乗船中の貨物の管理を行う甲板部は、一等・二等航海士職員、甲板長・操舵手・甲板員から成る部員で構成されている。入社3年目の操舵手・山﨑天愛さんは、出入港時に乗客の車の乗り入れを誘導する車両甲板や、航海士の指示で海の見張りを行うブリッジ当直、船体の整備などを担当している。「出入港の誘導で気を付けているのは、落ち着いて周りをよく見る事。乗り入れる車両と自分、周りのスタッフの安全を心がけ、思いやりを持ちながら業務に臨んでいます」と話す。
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高校2年の時、部活の遠征で四国を訪れた際、瀬戸内海を行き交う貨客船の姿に魅了された山﨑さん。人とモノを運ぶ大きな船で働きたいという夢を、大好きな故郷・島根で叶えた。甲板部では、山﨑さんを含め3名の女性操舵手がおり、そのうち乗船履歴20年の先輩も活躍中だ。「時には船酔いもするし、天候によっては身体がきついと感じる日もあります。でも、一つひとつの技術を着実に身に付け、この仕事を長く続けていきたいです」今は乗船履歴を重ね、三級海技士資格取得が目標だ。
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フェリーおき 操舵手
山﨑 天愛さん
2017年4月入社
島根県松江市出身。松江南高校から船員を目指し、国立海上技術短期大学校(静岡県)へ進学。内航船の乗務に必要な四級海技士資格を取得した。出勤日は船内で3食賄い付きのため、自炊は休日のみ。
〔機関部〕 エンジンなどの運転整備・燃料の補給を行う
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フェリーくにが 機関員
斎賀 勝汰さん
2018年8月入社
島根県隠岐の島町出身。隠岐水産高校海洋システム科エンジニアコースから同高校専攻科機関課程修了。三級海技士(機関)資格を取得している。趣味は幼稚園の頃からの釣り、旅行。
〔事務部〕 乗客へのサービス業務や船内調理を担当
出入港の手続きをはじめ、フェリー船内での乗客サービス全般、乗組員の食事作り、客室施設の清掃など、船内で幅広い業務を担う事務部。その中で司厨(しちゅう)員とは、船舶調理師免許を持つ司厨長(コック)の下で、安全に航海できるよう細心の注意を払いながら業務にあたる乗組員に、朝・昼・夕食を提供する仕事だ。3年目の作野百花さんは、入社後1年間は、総勢20名分の食事作りからスタート。出航1時間前には業務をスタンバイする乗組員のため、毎朝5時30分から調理にかかる。
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「それまで大人数の食事作りの経験がなく、最初は厨房で戸惑うことが多かったけれど、今は料理のレパートリーも増えました」と振り返る。2年目からは、担当業務に乗客サービスが加わった。船室への案内や船酔い客へのフォローなど、乗客に快適な船旅をしてほしいと願っていると、自然と身体が動く。「お客様の『ありがとう』の一言が、やりがいを感じる時ですね。船内に女性スタッフがいるとお客様も安心されるので、後輩が増えるとうれしいです。船は上下関係に厳しい職場と言われますが、当社は和やかな雰囲気が魅力です」。
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フェリーくにが 司厨員
作野 百花さん
2016年4月入社
島根県松江市美保関町出身。境港総合技術高校海洋科3年生の時、部活の柔道でインターハイに出場した。現在は境港市内の実家から通勤。今後は船舶調理師、調理師などの専門資格取得をめざす。